生きてきてよかったと思うことは増えた

歳をとるにつれて感覚も情緒も鈍くなっていってるのは誰よりも感じているし、もうがむしゃらに包丁もカッターもニードルも振り回すような傍若無人さは私にない。でも辛い気持ちが無くなるわけではないし、今この瞬間だって あの頃よりは鈍く、薄鈍い刃を心の中では振り回しているんだよな

 

生きてきてよかったと思うことは増えた

あの時死なないで今に至れてよかったなとシンプルに思う時は多いし、別にそう思ってない訳じゃない。実際この歳まで生きてたから知れたいい事とか楽しい事とか、大人の仲間に入れたとか、あの時は無かったとても良いコンテンツに巡りあえたとか 純粋に思えはする。でもあの時死ねたら こんな思い知らずに済んだのに こんな気持ちにならなくて済んだのにって気持ちが無くなる訳でもないし 幸せで不幸せが相殺される訳でもない

 

生きてきてよかったと思うことは増えた

人間とたくさんぶつかり合って感情を起伏させて、あの時にはなかった感受性も育った あの時の感受性と引き換えだったとしても、そこはプラスマイナスゼロだと思える。でもあの時にしか存在し得なかった私は もう二度と帰ってこない

 

 

過去に固執してると言われればそうだと思う

でも私は結局弱い人間でね

水に溺れて死ぬのはつめたくてかなしくてくるしくて無理なの

高いところから落ちて死ぬのはいたくてこわくてかたいから無理なの

腕を切って死ぬのはゆうきがなくてたえられないし薬をのむのもにがくていやだ

 

自ら命を絶つのって 常軌を逸していないと絶対に無理だし、そんなことないのかもしれないけど、常軌を逸す機会って人生にたくさんはないと思うの

 

 

 

 

私は、その機会を逃してしまった

言い訳かもしれないけれど

 

 

結局行動力があって本当に本当に死が救済と思ってる人間はこんなにちんたら長く生きて、鈍った自分の感情を少しでも愛おしいなと感じたりしないし、長くこの世に留まった故に知れたモノに愛着を沸かせたりしないし、新しい人間関係を築いたりしない。

 

 

 

早く死んどけばよかったのか、死なないでよかったのか

毎日毎日難しいけれど

死ぬ機会を逃してしまった私は 今日も明日も次の日も

少しの未練に後ろ髪を引かれて1日1日生きていくことが 多分さだめなんだと思う

 

 

 

いつか全部まるまる救われて

生きてきてよかったなと 全部で思える日がくるといいな